4日間大阪に帰省していた妻と子どもたちも連休明けとともに自宅に戻った。それで日常を取り戻した?といえるのだろうか・・

内側と外側
地震も放射能も外側に無くてはならないものなのだが・・今まさに境界を越えて内側を脅かしている。
仕事とは内と外の境界でのやりとりだが・・仕事をしながら別の境界(背後)で脅かされているこの恐怖感は今まで経験したことがない。
少なくとも仕事は想定可能なリスクの範囲での内と外のやりとりだが・・・今世の中を脅かしている事態は想定不可能なものが内側に侵入しつつあるという恐怖だ。
「人体には影響ない」と「想定を超えた事故」とは政府や専門家の言葉だ。想定出来ない人が「人体に影響がない」と想定していると言うことか。こういう人達は今後何が起こっても「想定を超えた事故」ということで責任回避するのだろう。メディアまで「想定外」で許してしまう異常事態だ。

専門家の指示を受けて避難訓練をしていた人達の中には、指示通り行動し津波に飲まれ死亡した人も少なくないそうだ。専門家の指示を鵜呑みにせず、指導されていた避難所よりもずっと坂の上まで逃げた人は助かった。
ヘタな知識や先入観が動物としての感を鈍くしてしまうのか。

「ここまで逃げなさい」と言われたとおりに行動した人と、動物的勘を働かせて、より安全な場所まで避難した人がいる。専門家の指示に従順に行動する人に対して、「危険だからもっと高い所まで逃げるべきだ」と助言することは混乱を招き風評被害につながるのだろうか?どうやら人を不安にさせることは言ってはいけないらしい。不安を感じているのにそれを素直に自由に発言しにくい空気を感じる。風評被害を与える発言をするなとのこ とだ。政府の言葉を信じ従順な人が立派なのか。その人達に何かあっても政府は「誰も想定出来ない事態だった」というに違いないのに。

目に見えない敵は、人間の想像力を超えている。勇者達の命をかけたの努力でさえも封じ込めることができない。まさに想定外の連続だ。
冷静に振り返り、地震後一日たりとも前日よりも好転した日があっただろうか?
非日常が続く中でメディアはいたって冷静を演じている。この先起こる悲惨な現実を日常として受け容れて生きていくしかないと、恐怖への感覚を麻痺させようとしているかのようだ。大変な事態の中で何日も過ごすのはストレスが大きすぎる。だから、大したこと無いと思う方が楽になるというのが人の心理かもしれない。
さて、その方向に流されて良いのだろうか・・少なくとも「仕方がない」と受け容れるときは「今」ではないはずだ。専門家すら想定出来ない非常事態のまっただ中というのは恐怖のまっただ中と言うことだ。本能として恐怖からは迅速に待避するのが正しい行動ではないか。いつもなら政府を批判するマスコミが口をそろえている。それでも「健康に害はない」「冷静に行動してください」という。

本当に安全な場所とは誰かが決めるものではなく一人一人異なっているはずだ。政府が保証する場所が安全な場所ではない。少なくとも人が恐怖を感じる場所は決して安全な場所とは言わない。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ